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ドイツ発『劇場訪問記』〜もっとオペラを楽しもう〜 (ID:10031)
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ドイツに住んで十数年、今までに鑑賞したオペラ、オペレッタ、
ミュージカル、バレエ、演劇の紹介です
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発行部数の推移 過去10号分
発行回数発行日時発行部数発行部数の推移 ( 右端は100部 )
第117号 2006/10/03 21:06:0868
 
第118号 2006/12/05 03:15:5169
 
第119号 2007/01/26 02:20:1067
 
第120号 2007/04/18 01:14:2964
 
第121号 2007/05/12 01:19:3563
 
第122号 2007/07/31 01:32:3360
 
第123号 2007/11/08 04:26:3558
 
第124号 2007/12/31 22:09:0558
 
第125号 2007/12/31 22:20:5058
 
第126号 2008/03/08 08:32:1759
 
 
バックナンバー 最新号
第126号 2008/03/08 08:32:17 発行
 
ドイツ発『劇場訪問記』
 
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

    ドイツ発『劇場訪問記』〜もっとオペラを楽しもう〜

        『後宮からの誘拐』モーツァルト
                               第110号
                            発行2008.03.08
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

昨年暮れからまたすっかりご無沙汰してます。今年最初の発行となりますが、
皆さんお元気でしょうか?忘れた頃にやってくるマリナです。今年は閏年で2
月が1日長かったのに2月中に発行できませんでした。毎度遅くなってすみま
せん。

この冬ドイツは暖冬で、いつもなら雪掻きの2〜3回は経験している時期です
が、まだ雪掻きするほどの大雪もなく日によっては10度以上の暖かくなります。
鳥達も囀り始め、隣の家の庭にあるしゃくなげの蕾も膨らみ始めています。そ
れと共に花粉の飛来も早く訪れ、日によって花粉症の症状も出てています。

と書いたら、急に寒くなって水曜日の朝に雪が積もりました。天気の神様も結
構天邪鬼ですね。

昨年暮れからブログを始めました。日常生活の紹介もしておりますので興味が
おありの方はどうぞご覧下さい。

・ブログURL:http://marina5050.at.webry.info/


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 ☆☆☆今回の目次☆☆☆
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      ★オペラ(51)『後宮からの誘拐』モーツァルト

   ●最近の新聞記事より
    <ザルツブルクで「カラヤン・イヤー」の幕開け>〜1月7日
    <映画館でのオペラ・ライブが大成功>〜1月21日、NY発
    <Anna Netrebkoが母親になる>〜2月5日、ロンドン発

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 ★★★オペラ(51)★★★

   『後宮からの誘拐』モーツァルト 
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この作品はドイツ語で書かれたシングシュピール(Singspiel)で、語源は英語
のSongplayのドイツ語訳だと言われています。18世紀にイギリスで流行してい
たバラッド・オペラで、オペラよりも軽めで喜劇的な内容、会話の中に歌や踊
りが挿入される現在のミュージカルに近い舞台作品でした。まずシングシュ
ピールの歴史を簡単にご紹介します。

18世紀ドイツ宮廷ではイタリアとフランス芸術の影響が大きく、オペラにおい
てもその影響は絶大でした。その中では北ドイツの自由都市ハンブルクでは
1678年に公開オペラ劇場を開設し、ドイツ人によるドイツ語オペラを擁護し続
けていました。特にReinhard Keiser(1674-1739)はハンブルクのために100曲
以上の作品を残しています。

1743年ベルリンで、イギリスバラッド・オペラ「悪魔は放たれた」のドイツ語
訳上演が成功後、そのドイツ語改訂版をライプツィヒの詩人Christian Felix 
Weisserが書き、Johann Georg Standfussが音楽をつけ、1752年に上演したの
がドイツ音楽によるジングシュピールの最初の作品だと言われています。

Standfussの死後、WeisserはJohann Adam Hiller(1728-1804)と共同でジング
シュピールを製作し、ドイツ国内にジングシュピールが流行し始めました。

1776年ウィーンでは、皇帝ヨーゼフ2世によって王室劇場(ブルク劇場)が国民
劇場として一般に開放され、ドイツ語の作品が上演されるようになりました。
そこで最初に上演されたジングシュピールは、Ignaz Umlauf(1756-1796)の
「Die Bergknappen(鉱夫たち)」(1778年)です。その後ウィーンのジングシュ
ピールの祖と言われるKarl Ditters von Ditterdorf(1739-1799)の作品が成功
を収め、彼の代表作「医者と薬剤師」(1786年初演)は現在でも上演され続けて
います。

1781年、故郷ザルツブルクからウィーンに移ったばかりのモーツァルトにドイ
ツ語オペラの作曲が依頼されました。1782年7月16日ブルク劇場での初演成功
により、この作品はドイツ語圏で上演されるようになり、その後外国にも広ま
りました。1782年プラハ、1788年ベルリン、1798年パリ、1827年ロンドン・・


原 題 :  Die Entfuehrung aus dem Serail(ドイツ語)
原 作: Christoph Fridrich Bretzner(1748-1807)の戯曲
     「Belmont und Constanze」別名「Die Entfuehrung aus dem   
      Serail」(1781年出版)
台 本: Bretznerの戯曲を元にJohann Gottlieb Stephanie(1741-1800)
初 演: 1782年、ウィーン



【 あらすじ 】(ご存知の方はとばしてください)

18世紀、スペインの貴族ベルモンテの恋人コンスタンツェと彼女の侍女ブロン
デと召使ペドリッロは航海中に海賊に襲われ捕らえられた。その後3人はバッ
サ・セリムというトルコの貴族(大守)に奴隷として売られ、セリムの後宮に囲
われている。
 

第一幕

ペドリッロから手紙を貰ったベルモンテは、コンスタンツェを探してセリムの
館に押し入ろうとするが、番人のオスミンに見つかり手厳しく追い返される。
その後ベルモンテはペドリッロと再会し、コンスタンツェとブロンデの無事を
確認。ベルモンテは後宮から3人を救い出す計画をペドリッロに打ち明ける。

セリムがコンスタンツェを伴って戻ってくる。コンスタンツェはセリムの求愛
を拒み続け、恋人ベルモンテを懐かしみ悲しみに暮れている。コンスタンツェ
が退場後、ペドリッロがセリムにベルモンテをイタリアの建築家として紹介す
る。建築好きのセリムに気に入られたベルモンテは雇われることになり、館に
侵入することに成功する。しかし再びオスミンに見つかり追い出されそうにな
るが、ベルモンテとペドリッロの2人は後宮にうまく侵入する。


第二幕

オスミンはセリムからブロンデを奴隷として譲り受けている。オスミンはブロ
ンデに激しく求愛するが、全く相手にされないで追い返される。その後ブロン
デは悲観しているコンスタンツェに会い慰める。ブロンデがいなくなるとセリ
ムが現れ、コンスタンツェを自分の求愛を受け入れないなら拷問すると脅す。
しかしコンスタンツェは拷問の苦痛も死も恐れないと健気に答える。

ペドリッロはブロンデに密かに会い、ベルモンテが後宮に侵入して逃亡の準備
をしていること伝える。ベルモンテの指示通り、ペドリッロはオスミンに睡眠
薬入りのワインを勧めて飲ませ眠らせることに成功した。ベルモンテとコンス
タンツェは再会し喜び会うが、ベルモンテとペドリッロはコンスタンツェとブ
ロンデの貞節を疑う。疑いをかけられた2人は男たちに自分たちの潔白を主張
し、男たちも2人を信じ仲直りする。


第三幕

ベルモンテとペドリッロが庭にはしごを持って来て高い塀を乗り越え、後宮か
ら逃げ出そうとしている。ところがオスミンが目を覚まして4人が逃げたこと
に気づき大騒ぎし始める。4人は駆けつけた衛兵に捕まり、セリムの前へ連れ
て行かれる。ベルモントが本名を名乗ったことで、セリムはベルモンテが仇敵
の息子であることを知り、長年の恨みが晴らせる時がきたと語る。それを聞い
た4人は死刑になることを覚悟した。死を覚悟したベルモンテとコンスタンツ
ェの深い愛と嘆きを聞いたセリムは、復讐するよりも寛大な心を示すことを選
び4人を釈放して故国に送り返すことにした。死刑を望んでいたオスミンは悔
しがるが、トルコ兵たちはセリムの寛大な心と栄光を讃える。



【 雑 談 】

この作品の誕生には当時の政治的背景も無関係ではありませんでした。18世紀
ヨーロッパではトルコブームが起こっていたことにも関連があるので、簡単に
ご紹介します。

13世紀末に起源を発し、強力な軍事力で領土を拡大し続けたオスマン帝国の軍
隊がしだいにヨーロッパにも侵入し始めました。1526年ハンガリー王国を破り
その大半を占領。1529年にはハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール5世の都
ウィーンを1ヶ月以上包囲(第1次ウィーン包囲)します。その後1683年に第2
次ウィーン包囲を一時成功させたものの欧州諸国の援軍に敗れ、1699年に結ば
れたカルロヴィッツ条約において、史上初めてオスマン帝国の領土は削減され、
東欧の覇権がオーストリアのハプスブルク家に移りました。

このように17世紀末から18世紀にかけて、オスマン帝国の軍事的衰退が表面化
してましたが、反面ヨーロッパとの技術・文化面の交流も盛んになり、後期ト
ルコ・イスラム文化が成熟する時代になりました。

オスマントルコの歩兵軍団「イェニチェリ」には、管楽器と打楽器を演奏する
軍楽隊があり、ラッパ、シンバル、太鼓などを大音量で演奏して自軍の士気を
高め相手を威嚇しながら行進していました。18世紀にはヨーロッパ各国がこの
トルコ式軍楽隊を自国の軍隊に採用したため、トルコ式音楽、すなわちトルコ
軍の行進曲がヨーロッパに流行し始めました。またトルコ風の衣装や風習など
エキゾチックな雰囲気も、人々の間に流行し始めました。


オペラでもトルコ風の音楽や題材が流行して、この作品以前に当時の人気作曲
家グルック、ハイドン、モーツァルトの3人も、イスラム社会を舞台にほぼ同
じ題材を元にオペラを書いています。

まずは、1764年にウィーンのブルク劇場で初演されたグルックの「メッカの巡
礼」別名「思いがけないめぐり合い」(「Les Pelerins de la Mecque」「La 
rencontre imprevue」)。題材は1726年、Jean Grillersが曲をつけた戯曲
「des Vaudevilles d'Orreval」。この中にアリというエジプトの王子とその
従者オスミンが登場しています。

次に、1775年初演のハイドンの「突然の出会い」(L'incontro improvviso)」。
そしてモーツァルト自身が1779-80年にかけて作曲した未完の歌劇「ツァイー
デ(Zaide, das Serail)」です。原作=F.J.セバスティアーニのオペラ台本「後
宮」(フリーベルト作曲1777)(題材はヴォルテールの「後宮」)。

余談ですが、このヴォルテールの「後宮」は当時かなり流行していたようです。
1777年モーツアルトの父レオポルドがザルツブルクでミヒャエル・ハイドン
(1737-1806)が挿入曲を作曲した、ヴォルテールの戯曲『後宮』の中にトルコ
風音楽をあるのを聞いています。


さて前置きが長くなりましたが、皇帝ヨーゼフ2世がウィーンの芸術をドイツ
語化しようとブルク劇場を国民劇場とし、そこをドイツ語演劇の上演の場とし
ました。当時各地の宮廷ではイタリア・オペラが主流でしたが、ヨーゼフ2世
はドイツ語のオペラ、ジングシュピールを上演させました。ウィーンに移った
モーツァルトにドイツ語オペラの作曲を実際に依頼したのは、ブルク劇場総監
督のローゼンベルク伯爵で、台本をブルク劇場の俳優で劇作家のゴットリー
プ・シュテファニーに書かせ、モーツァルトに渡すよう言い渡しました。

1781年4月18日、シュテファニーがモーツァルトに当時流行していたトルコを
題材にしたオペラの台本を渡しました。この作品はライプツィヒの台木作家ブ
レツナーがイギリスのバラッド・オペラ「The captive」(1769年、ロンドン初
演)を元に書き、その後ヨハン・アンドレ(1741-1799)が音楽をつけて、1781年
5月ベルリンで初演されてます。

同年8月22日には第1幕の作曲を完成させ、ロシア大公のウィーン訪問歓迎に
初演される予定でしたが、大公の訪問が11月に延期され作曲の速度もにぶりま
した。しかし大公の歓迎会に演奏されたのグルックのオペラでした。翌年復活
祭の後に初演が予定されていましたが、それも実現せず、2幕3幕が完成した
のは1782年の5月末になりました。度重なる延期の末、ようやくヨーゼフ2世
の命によって1782年7月16日初演されました。


ウィーンでの最初の仕事として、また今までの宮廷向けのオペラと違ってウ
ィーンの市民向けのオペラということで、この作品には当時の流行が上手く取
り入れています。トルコ風の音楽以外にも、当時流行していた啓蒙思想「悪を
悪で裁く」よりも「悪を許す」という結末は、1779年に発表されたレッシング
(Gotthold Ephraim Lessing,1729-1781年)の「賢者ナータン(Nathan der 
Weise)」の中にも見られ、原作の一部と言われています。

参考として、下記のサイトで舞台の感想やあらすじが紹介されています。


ウィーン・ブルク劇場 レッシング 「賢者ナータン」        
http://plaza.rakuten.co.jp/landstrasse/diary/200411160000/



この作品はプレミエを含めて2回見に行きました。ダブルキャストで違う配役
が演じるので、同じ作品でも雰囲気が違って楽しめました。以前にもここの劇
場でこの作品を鑑賞したことがありますが、当時と現在のイスラム社会の印象
を象徴(?)する演出の違いを感じました。

以前見た舞台はトルコ風の宮殿、いわゆる「アラビアンナイト」風の色彩豊か
な衣装、庭の中央に椰子しの木が立っていたようね記憶がありますが、今回の
舞台は砂漠、後宮は鉄格子のはまった殺風景な牢獄で、番人も肩からライフル
を下げ、まさにタリバンの戦士、現代のイスラム社会の象徴でした。

普通は三幕ですが、ここでは休憩を挟んで2部構成になっていました。


第1部、前面は鉄格子、残り3面は高い塀で囲まれた牢獄で塀の上には見張り
の兵士が肩から銃をさげて椅子に座っています。オスミンが中で床をほうきで
掃いていると、ベルモントが外から声をかけますが相手にされません。オスミ
ンの衣装はアフガニスタン風で黒い髭と髪を伸ばして帽子を被っています。ベ
ルモントは大きな布のバックを持った現代の若者旅行者でした。ペドリッロを
見つけたオスミンが怒りに狂ってペドリッロを殴り倒れてもなお足で蹴るとい
う暴力的シーンもありました。

コーラスのシーンは、舞台右手から砂嵐が吹き、砂嵐を避けるため顔や頭に布
を巻きつけたコーラスが嵐に向かって歌っていると、同じように顔に布を巻き
つけたセリムとコンスタンツェが登場。牢獄の中へ入ると布を取り顔が見えま
した。セリムとコンスタンツェの衣装は昨年12月18日のブログに紹介していま
す。後ろの壁全体が扉のように開いて舞台が変わるところが面白かったです。

ベルモントが建築家として牢獄の中に入れてもらった後、オスミンに見つかり
追い出されそうになりますが、今度はベルモントとペドリッロの2人がオスミ
ンを暴力で痛めつけ、オスミンを外に追い出し鉄格子の鍵をかけます。

オスミンの小さな部屋が左側の壁から引き出しのように出てきて、Tシャツに
Gパン姿の金髪イギリス娘ブロンディは、殴られて怪我をしたオスミンの手当
てをします。オスミンがブロンディを襲おうとしますが、巧くかわしてオスミ
ンを追う払います。

拷問のアリアのシーンは、小さな箱型の独房が中央に出てきて、セリムがコン
スタンツェをその部屋へ乱暴に連れ込み、コンスタンツェの両手を壁の両側に
鎖で繋いで、拷問されているようでした。


第2部、ブロンディがイギリス国歌を口ずさみながら洗濯物を舞台左右一杯に
張られた洗濯ロープに干していると(観客から笑い声が上がりました)、ペドリ
ッロがやってきてベルモントの逃走計画を知らせます。喜ぶブロンディはちょ
っとセクシーな振りで踊りながらペドリッロの上に乗りアリアを歌います。

ペドリッロが睡眠薬入りワインを見張りの兵士達に飲まし、最初は疑っていた
オスミンにもうまく勧めて飲まして酔わせ、皆を眠らせます。ベルモントが梯
子を持ってきて脱走の用意をしている時、ペドリッオは黒い四角い小箱を手に
持ってきました。赤い小さなランプがピカピカ光っていて時限爆弾の発火装置
のようでした。

逃亡が失敗し4人が捕らえられるシーン。オスミンが長いムチをビシビシ打ち
鳴らしながら勝利のアリアを嬉しそうに歌います。兵士達に捕らえられた4人
は手を後手に縛られ、黒い袋を頭から被せられていました。セリムの前に跪か
されて並んでいるところはテレビで見たタリバンの処刑シーンを思い出させま
す。コンスタンツェとベルモントがセリムから頭の黒い袋を取られると、目は
黒い細布で縛られていました。その後鉄格子を2つに仕切る鉄格子が上から降
りてきて男女別々の監獄に入れられました。

2つに分けられた鉄格子越しに目隠しされたコンスタンツェとベルモントが二
重唱を歌い、それを見ていたセリムが4人を解放することに決め、兵士に命じ
て4人を解き放ちます。コーラスが出てきてセリムを讃える歌を歌った後、皆
が退場して舞台が暗くなりましたが、舞台の上に残された黒い箱が赤い光を点
滅されたまま幕がおりました。


2回目に見に行った時は、唯一ダブルキャストでないオスミン役が病気になり、
急遽代役が他の歌劇場から呼ばれましたが、複雑な演技など間に合わないので、
演出家がオスミン役として舞台に立ち、演技と台詞を受け持ち、代役の歌手が
舞台の端に立って歌の部分だけ歌いました。

コンスタンツェは1回目韓国人、2回目台湾人とアジア系で、2回のベルモン
テも韓国人でした。そのせいか台詞の部分が大幅にカットされて短くなってい
ました。1回目のセリムが長身で格好よくて上半身裸になるシーンもあり、す
ごくよかったです。全体的に暴力シーンが多くてちょっと暗い内容で、以前見
た時と全然イメージが違っていました。


モーツァルトの作品には、共通して独特の雰囲気が感じられます。例えば全然
知らない曲でも聞いているうちに「あっ、この雰囲気はモーツァルト」となん
となく分かりますね。

「のだめカンタービレ」(私はドラマとアニメにか知りませんが)の中では、の
だめが「モーツァルトはピンク色・・」と表現しています。淡い柔らかく優し
いピンク色のイメージでしょうか?皆さんもモーツァルトの音楽を聞いている
時には何かイメージが湧いてくると思いますが、そのイメージを言葉で表現す
るって難しいですね。

私はちょっと切ない雰囲気も表現したいと思うのですが、どんな言葉がいいか
ない知恵絞って考えてみました。なんせ想像力も乏しく語彙力も少ないので単
純な表現しか浮かばなくて恥ずかしいのですが、私のモーツァルトのイメージ
は『シャボン玉』でしょうか?

あなたのモーツァルトのイメージも教えてください。



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  最近の新聞記事より 
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ニュースがすっかり古くなって、すみません。簡単に今年話題のニュースをご
紹介します。


<ザルツブルクで「カラヤン・イヤー」の幕開け>〜1月7日、ザルツブルク

2008年4月5日で1989年に亡くなった指揮者Herbert von Karajanが100回目の
誕生日を迎える。「カラヤン・イヤー」祝してザルツブルク・モーツアルテウ
ム管弦楽団が首席指揮者Ivor Bolton の指揮で1029年1月22日指揮者デビュー
したカラヤンを記念して、当時と同じプログラムを指揮した。


<映画館でのオペラ・ライブが大成功>〜1月21日、NY発

NYメトロポリタン歌劇場のオペラが先週末アメリカ国内の映画館でライブ上
映され、多くの観客を動員した。上映されたオペラはグノーの『ロミオとジュ
リエット』で、劇場入場者週末ランキング11位の成績を収め、165万ドルの入
場料を集めた。次回のライブ上映予定は2月16日、プッチーニの『マノン・レ
スコー』。

日本の映画館でもライブ上映されています。

http://www.shochiku.co.jp/met/


<Anna Netrebkoが母親になる>〜2月5日、ロンドン発

スター・ソプラノ歌手Anna Netrebkoが妊娠を理由に、今年のザルツブルク音
楽祭の出演を取止めた。父親はウルグアイ出身のバス・バリトン歌手Erwin 
Schrott(35歳)。Netrebkoは現在ウィーンでドイツ放送(ZDF)のオペラ映画プッ
チーニの『ボエーム』をRolando Villazonと収録中である。

何度か妊娠の噂がありましたが、今回は本物のようです。この記事の関連記事
を簡単にご紹介します。

<Anna NetrebkoとErwin Schrottが婚約>〜2月7日

<Anna Netrebkoは来年の1月まで産休を取る>〜2月11日

今年6月末ウィーンのシェーンブルン宮殿の庭で行われる野外コンサートを最
後にNetrebkoは産休に入る。舞台への復帰は早くても来年1月の予定。 シ
ェーンブルンのコンサートはサッカーのヨーロッパ選手権開催中に、スター・
テノールPlacido Domingo、Rolando Villazon、ウシーン・フィルと一緒に出
演する。



【 おわりに 】  

3月2日、3日の2日間、テレビ(ZDF)の連続ドラマ『Die Gustloff』を見ま
した。この物語はナチ党が客船として建造したヴィルヘルム・グストロフ号が
1945年1月30日、ゴーテンハーフェン港(現ポーランド、グディニャ港)から東
プロイセンの避難民や傷病兵を乗せ出航後、ソ連海軍の潜水艦に撃沈され9千
人以上の死者(タイタニックの約6倍)を出すという海運史上最大の惨事となり
ながらも、その後政治的状況で公に語ることがタブーとされていた事件を描い
たものです。

ドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラスが、2002年に発表した小説『蟹の
横歩き』がこの事件を題材としていることもあり、ドイツ国内でも再び話題に
なっているようです。ドラマでのハイライト、船の沈没シーンは映画『タイタ
ニック』と酷似していましたが、出港前や軍部の様子などに時間をかけて丁寧
に描写していて、多くの女性や子供の難民が命を落とした中、船長や上級軍人
が生存し事故の原因を究明することが禁じられた事情も、当時の状況が詳しく
説明されていたため納得できる内容でした。歴史的惨事を冷静に表現している
秀作だと思いました。

ドラマ放送数日前に、番組の紹介として船の生存者、当時はまだ幼い子供だっ
たとても品がいい年配の婦人が、お昼のニュース番組に出演して事故のことを
短い時間でしたが語っていました。その時一緒にいたお母さんや姉妹と離れ1
人生存したという悲惨な体験・・という割には、テレビ生出演で興奮していた
せいかもしれませんが、すごく楽しそうに語っていたのに違和感を覚えました。

もう60年以上も前の出来事で当時幼かったから詳しいことは覚えていないのか
もしれません。もしくは、あまりにも衝撃的な出来事だったので恐ろしい記憶
が欠落しているのかも。その婦人の明朗な話し振りや幸福そうな顔をみて、過
去の出来事を乗り越え、その後の人生を前向きに生きてきた人の笑顔は美しい
と思いました。よく「年取ったら自分の顔に責任を持て」と言われますが、彼
女の人生がきっと顔に表れているのでしょう。暗い悲しい過去をいつまでも引
きずるより、すっぱり忘れて明るい未来を信じて生きていきたいですね。

『Die Gustloff』に関して、まだ色々思うことがありますが、また後日詳しく
プログの方に書き込みたいと思います。


「ドイツ小都市での日常」
http://marina5050.at.webry.info/



それでは、またこのメールでお会いできますように。



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   アドレスはこちら matsuno_marina@hotmail.com
   タイトルは    「後宮」でお願いします。


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編集・発行 / 松野マリナ  matsuno_marina@hotmail.com
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