[あわたけの人権問題レーダー No.227 2008/06/09]
あわたけの人権問題レーダー
『10分でわかる人権 「エレキの神様」・寺内タケシさん』
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今回は、加山雄三の東宝映画「エレキの若大将」等にも出演し、
足利市教育委員会の「エレキ禁止令 65(昭和40)年」の反省から
「エレキギター偏見を払拭する為」に始めた「ハイスクール・コン
サート(入場無料)」で40年近く社会貢献されている寺内タケシ
さんです。
<目次>
■ 寺内タケシさんのプロフィール
■ 父・龍太郎所有の敷地200万坪を「つくば万博」に寄付
■ 風俗化したエレキブームに教育委員会が「エレキ禁止令」発令
● 第二章 電気屋のガキ大将 五歳で手にしたギター 62p
● 稽古の鬼と化した母 65p
● 超人気アイドルグループの誕生 39p
● 第五章 もうひとつのコンサート・ツアー
エレキギター禁止令 182p
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■ 寺内タケシさんのプロフィール
1939(昭和14)年生まれ。茨城県土浦市出身。父龍太郎は土浦市
議会議長を務め、筑波研究学園都市の推進役として知られた映画館
や電器屋など手広く手がけた実業家。母初茂は鶴岡流小唄と草紙庵
流三味線の家元。
5歳からギターを始め、電話のコイルを利用したエレキギターを
開発。中学時代ビッグバンドを結成、土浦第三高校でマンドリンク
ラブを設立し、全国コンクールで優勝。
関東学院大学在学中エレクトーンの原理を解明、プロギタリスト
として活動開始。63(昭和38)年「寺内タケシとブルージーンズ」
を結成し、エレキブームの仕掛け人となり「レッツゴー運命」
(=ベートーヴェン「運命」のリメイク)や民謡「津軽じょんがら
節」を演奏し、日本レコード大賞編曲賞や企画賞を受賞。
64年から翌年にかけベンチャーズやアニマルズ、スプートニクス
といった海外のバンドがこぞって来日。世界のエレキの凄さを見せ
つけようと意気込んで乗り込んできたがベンチャーズはともかく他
のバンドはことごとくブルージーンズの演奏の凄さに完全に屈して
白旗をあげて帰って行くという伝説を作り上げてしまいました。
65年には日劇ウエスタンカーニバル音響監督に就任しイベント
をエレキ一色に変えたことで有名。
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■ 父・龍太郎所有の敷地200万坪を「つくば万博」に寄付
85(昭和60)年「つくば科学万博」では科学博協力局特別職参与
としてグランドプロデューサーに就任。つくば万博の開かれた筑波
研究学園都市は父・龍太郎の所有する敷地200万坪の中にあり、
国と県に寄付されたものです。
基本構想から会場レイアウト、テーマソングの作曲、常磐高速道・
一般道の整備、宿泊施設、鉄道から会場周辺の上下水道の整備、V
IP接遇、跡地の再利用など多岐に渡る仕事を全て無報酬(県知事
から月200万円の提示を辞退)でこなし、「いばらき大使」としても
活躍し、平成18年度茨城県特別功労賞表彰授与。
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■ 風俗化したエレキブームに教育委員会が「エレキ禁止令」発令
1964(昭和39)年、歌謡界で御三家と呼ばれた橋幸夫、舟木一夫、
西郷輝彦の絶頂期にエレキ・ミュージックも大きくブレイクし始め
エレキギターやアンプ(=増幅器)、ドラムが爆発的に売れたのです。
米国エレキ演奏グループ・ベンチャーズの「スタイル」はギター
2本、ベース1本とドラムからなり、日本の多くの若者に「やる気」
を起させ、エレキブームは「演奏する楽しさ」を教えてくれました。
エレキ専門メーカー「グヤトーン」、「テスコ」から「ビクター」、
「コロムビア」そしてハーモニカの「トンボ」まで製造に乗りだし
一機にメーカー数100社を超え、それまで細々と楽器を作っていた
町工場は一転して増産に追われました。
エレキ弾ける男子学生らは海水浴場や祭りの特設会場だけでなく
大人の社交場「ダンスホール」や「ビヤガーデン」のステージ演奏
でギャラを貰え、エレキブームは「風俗」としても社会に浸透して
いったのです。
ダンスホールに学生達が出入りする事は風紀問題で学力が低下し
非行・不良生徒になる恐れがあり、増幅されたアンプ音がウルサイ
との理由で一時期「反エレキ運動」が展開。エレキは大きな社会問
題として国会でも議論され65(昭和40)年栃木足利市教育委員会
が遂に「エレキ禁止令」を発令。
全国で追随する自治体も出るなどして、各地のコンサート会場で
は入場を阻止しようとする教職員とつめかけた学生達とのバトルが
日常的に繰り広げられたのです。
「エレキギター偏見を払拭する為」に始めた「芸能鑑賞会・ハイ
スクール・コンサート」は平成20年2月末で実施1389校を数えて
青少年教育分野で高い評価を受けました。
そして文部大臣感謝状(H12)、文化庁長官表彰(H16)、衆参両
院議長感謝状(H17)に加え、平成18年5月に厚生労働省児童福祉
文化賞(厚生労働大臣賞)を受賞。
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● 第二章 電気屋のガキ大将 五歳で手にしたギター62p
僕は、昭和十四年に茨城県土浦市で次男坊として生まれた。
父の寺内龍太郎は、土浦市会議員、市議会議長もつとめた政治家
であり、市内で電気店や製材所、建設会社、映画館などを手広く経
営する実業家でもあった。もちろん、僕たち家族に対しては厳格な
父でもあった。
母の鶴岡初茂は、鶴岡流の小唄と草紙庵流の三味線の家元。弟子
たちのほとんどはお師匠さんクラスの人ばかり。“師匠”と呼ばれる
人たちに稽古をつける“師匠”の“師匠”だった。・・・
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● 稽古の鬼と化した母 65p
なにしろ僕の“師匠”は、“師匠”の“師匠”だから稽古事には
とにかく厳しい。あるとき、東京から稽古にやってきた財閥系大手
不動産会社の会長が、家に入るなり上着を脱いだことがある。
すると母は、
「教わるほうが上着を脱ぐとはどういうことです。そんな心構えで
は稽古事はできません。いますぐお帰りなさい」
と怒鳴って、追い返してしまったことがあった。・・・
ケジメをわきまえない人間には少しも容赦はしないというのが母
なのだ。その毅然とした態度は“日本一の師匠”といっていい。
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● 超人気アイドルグループの誕生 39p
僕たちは、ブルージーンズのコンサートに、海外の人気バンドを
日本に呼んで前座で演奏させることにした。昭和三十九年のことだ。
新宿の厚生年金会館で第一回目のライブを行った際に、アニマルズ
とベンチャーズを前座に呼んだ。トリはもちろん、ブルージーンズ
である。
会場は超満員で、これが大当たりした。・・・ここで日本のエレキ
ブームに火がついた。・・・・加山雄三主演の『エレキの若大将』を
はじめとする映画出演あり、レコーディングあり。・・・
ブルージーンズのバンドボーイをやりつつ、歌の練習に励んでい
たのは布施明、のちに俳優に転向してしまった峰岸徹などもいた。
ちょっとブルージーンズで面倒を見てもらえないかと頼まれたが、
音楽傾向がちがったので断った新人歌手に森進一がいた。
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● 第五章 もうひとつのコンサート・ツアー
エレキギター禁止令 182p
僕がハイスクール・コンサートをスタートさせるきっかけは、
昭和四十四年ごろに栃木県のある教育委員会が出した「エレキギタ
ー禁止令」だった。
当時、その地域の小学生から高校生にいたるまで、エレキギター
を弾くことはおろかエレキバンドのコンサート会場に出かけること
さえ禁止した。
禁止の理由は「エレキギターに夢中になるあまり勉強しなくなる
生徒が増えるのは教育上問題である」「エレキギターは騒音をまき散
らすので近所迷惑になる」といったこと。要するに「エレキギター
は少年たちを不良にする」といわんばかりの締め付けが起こったの
だ。・・・ まさにエレキギターに対する迫害と弾圧ではないか。
僕は機会あるごとに地方の教育委員会や高校教師など“良識ある
教育者”と話し合いを繰り返したが、納得いく説明をしてくれた教
育者はだれひとりとしていなかったのである。・・・
僕がどんなにエレキギターのすばらしさを説いても、返ってくる
答えは、「そんな不良の楽器はやめたほうがいい」とか・・・「寺内
さん、あなたも正業に就いたらどうですか」という教育者もいる始
末だった。
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参考資料:『テケテケ伝』
著 者:寺内タケシ
発行所 :講談社 2000年12月8日 250p
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