[ 巴里レター No.136 ]
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☆ 巴里レター No.136 ☆
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◇ 2005年 ポルトガルの旅 〔8〕 ◇
ペーナ宮殿を出て、ムーア人の城跡に車で行こうと思ったら、
進入禁止の表示がありました。
一方通行だったんですね。
近くにいた人にきいたら、
歩いても遠くないと言うので、歩くことにしました。
なるほど、わりとすぐです。
ムーア人というのは、どういう人たちなのか知らないけれど、
(アラブ人の一種かな。)
8世紀か9世紀頃に、この城を造ったみたいです。
石積みの砦が素朴ですね。
趣味で造ったという感じのペーナ宮殿とは対照的に、
必要に応じて実戦的に造りました、という感じです。
やっぱりちょっとした山の頂にあって、眺めがいいですね。
石の階段を登るのが、ちょっとキツかったけど。
なぜかポルトガルの国旗がひるがえっていました。
昨夜泊まったシントラの町もよく見えました。
立派な館が点在しているのもよく分かります。
バイロンは、「エデンの園」とか言ったそうですが、
きっと寒くない時季だったんでしょうね。
ポルトガル人の女の子が2人、同じときに登り始めたんだけど、
素朴で陽気な人たちでした。
頼んでもいないのに、「シャッター押してあげましょう。」とか言って、
写真を撮ってくれました。
旅行に行っても、自分の写真はあまり撮らないのですが。
ムーア人の城跡を出る頃、また雨が降り出しました。
車だと、降っていても寒くても平気だからイイよね。
山を下りるとき、石畳が濡れていて、ちょっとコワかったけど。
幹線道路に出るまで、町なかの細い道を、
あっちに曲がり、こっちに曲がりしました。
ロカ岬に行くつもりだったのですが、
まずは今日泊まる予定のカスカイスに向かいました。
(どしゃ降りでした。)
カスカイスは、そんなに遠くないですね。
リスボンからも近いリゾート地って感じです。
昨夜もシントラじゃなくて、カスカイスに泊まればよかった。
前回来たときも2泊したんだけど、カスカイスだと思っていたのは、
隣町のエストリルでした。 エストリルもいいですよ。
カスカイスのインフォメーションで、
「今日泊まるところを・・・」って言ったら、簡単に、
「その道を少し行けば、ホテルがあるわよ。」とか言うから、
『高いんじゃないかな。』と思って行ってみたら、安かった。
ツインのシングルユースで、バストイレ付きで35ユーロ。
暖房もちゃんとしてるし。
やっぱりシントラより、こっちに泊まればよかった。
少し散歩して、マクドでフィッシュ・バーガーを食べました。
魚がいいから、フィッシュ・バーガーも美味しいかもしれない、
と思ったけど、パリで食べるのとあまり変わらないですね。
セット・メニューで3ユーロ95セントでした。
パリだと5ユーロちょっとかな。
マクドの従業員や客が珍しそうな目で見ていたから、
『日本人は来ないんだろうな。
インターネットカフェがあっても、日本語は使えないだろうな。』
と思ったのでした。
(つづく)
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◇ 詩のような言葉たち 〔97〕 ◇
きっとあの人の記憶の底にも
同じように残っている
白一色の小さな平面
そして白い文字で
幸福と書かれている
読みとることができるのは
私とあの人以外にはない
『詩人の翼』より
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◇ モネの墓 ◇
ジベルニーには、モネの家とアトリエ、
睡蓮の池などがありますが、モネのお墓もあったんですね。
つい最近知りました。
正確に言うとモネ家のお墓なのですが。
奥さんや子供も、ここに眠っているみたいです。
場所は、モネの家からそんなに遠くなくて、
細い道を少し奥の方に行ったところです。
小さな教会があります。(修理中でした。)
その右手に石の十字架が立っていて、
花がたくさん植えられていました。
そして大理石のプレートに、
私たちが愛したクロード・モネ ここに眠る
1840年11月14日に生まれ
1926年12月5日に亡くなる
というようなことが刻まれていました。
そうですか。
ここにお墓があったんですね。
考えてみれば、ジベルニーは、
モネがずっと絵を制作していたところで、
晩年もここで過ごしていたのだから、当然なのかもしれませんが。
でも、ゴッホのお墓ほど有名ではないですね。
ゴッホのお墓は、パリの近郊、
オヴェール・シュル・オワーズにあります。
僕が絵に関心を持ったのは、ゴッホがキッカケでした。
フランスに住みつくことになったことの遠因でしょうか。
ジベルニーからそう遠くないところに、
モネが「ひなげし」の絵を描いた場所もあります。
これも、今回初めて知りました。
パラソルを差した女性が、ひなげしの咲く丘を下りてくる、
詩的で有名な絵ですね。
(モネの家から、8kmから10kmくらいかな。)
2008年4月28日 Michio
追伸
この3月で、日本を出てから25年が経ってしまいました。
その日は、忙しく過ごしていたのでしょうか、
気がつきませんでした。(それも、ちょっと淋しいかも。)
もし、これからまた巴里で25年生きるとしたら、
けっこうな歳になりますね。
それでも、まだ巴里レターを書いていたりして。
(ありえるかも。)
モネのお墓の写真は、「フランス井戸端会議」にUPしておきます。
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